はじめに
「緊急地震速報の豪雨版をつくれないだろうか」。2010年度から5か年計画でスタートした研究プロジェクト「気候変動に伴う極端気象に強い都市創り」の中で、このような計画が持ち上がった。その背景には、いわゆるゲリラ豪雨による都市水害の頻発があった。
2008年7月28日には、神戸市を流れる都賀川で突然の雨により水位が急上昇し、川の近くで遊んでいた子供を含む5人が死亡した。そのわずか8日後の2008年8月5日、今度は東京都豊島区雑司が谷の下水道工事現場で、作業をしていた男性5人が豪雨による急な増水で流されて犠牲となった。さらに2008年8月16日には、栃木県鹿沼市で発生した豪雨によって道路が冠水し、車が水没して運転していた女性が命を落とした。
これらの災害に共通の特徴として、雨が降り始めてから被害が起こるまでの時間が非常に短いことが挙げられる。都市域では降雨が土壌に浸透しにくく、短時間で河川や下水道、あるいは道路上の低地に流れ込む。このため雨が降り始めてから20分程度で水位が急上昇し、甚大な被害が生じる。このような被害を減じるには、降雨情報を迅速に個人に伝えるシステムを構築する必要がある。
防災科学技術研究所と日本気象協会は、10分〜20分程度先の雨量予測情報を個人にEメールで配信する「10分先の大雨情報」配信システムを構築し、2015年6月から10月にかけて一般の方2000人のモニターを対象に社会実験を実施した。
予測の方法
「10分先の大雨情報」の基礎となっているのは、XバンドMPレーダを用いた降雨強度の推定技術である。その概要を説明する。
従来の気象レーダは、雨粒で散乱された電磁波の受信電力の大きさから降雨強度を推定していた。この方法は、特に強い雨に対して誤差が大きいことが問題となっていた。このため、レーダで得られる降雨強度を雨量計で補正し、解析雨量を作成する必要があった。しかし雨量計の計測には通常10分程度の時間を必要とするため、解析雨量の作成には少なくとも10分以上の時間を要する。
これに対してMP(マルチパラメータ)レーダは、垂直偏波と水平偏波を同時送信し、そこから得られる複数のパラメータから降雨強度を推定する。MPレーダによる降雨強度の推定は精度が高く、雨量計による補正を必要としない。したがってレーダがスキャンを終了した直後に雨量情報を提供できる。このような情報の迅速性は、雨が降ってから被害が生じるまでの時間が短い都市型の水害に対して有効である。MPレーダによる降雨強度の推定方法は、Xバンド(波長約3 cm)で高い感度が得られる。現在、国土交通省がXRAINの名称で、全国の14地域でXバンドMPレーダを運用し、250 mメッシュで1分間隔の雨量情報を提供している。なお、XバンドMPレーダを用いた降雨強度推定方法の詳細については、「マルチパラメータレーダ(MPレーダ)について」を参照されたい。
XバンドMPレーダは、アンテナ仰角を上げることによって、地上の降雨強度のみならず上空の降雨強度をも推定することができる。雨粒の平均落下速度が8 m/sのとき、高度5000 mで検出された雨粒が地上に達するまで10分25秒かかることになる。この時間を利用して、上空で激しい雨が検出された段階で情報を提供するのが「10分先の大雨情報」の基本的な予測原理である。
図1 2008年8月5日における、東京都下水道局豊島出張所の雨量計データと、同じ場所におけるVILの比較(データはHirano & Maki, 2010)。
具体的には、鉛直積算した雨水量(VIL; Vertically integrated liquid water)に注目する。VILは、XバンドMPレーダによる多仰角スキャンで観測された雨水量を、地上から上空まで鉛直方向に足し合わせることで得られる。図1は、2008年8月5日に発生した東京都豊島区雑司が谷の豪雨について、VILの時間変化と地上の降雨強度の時間変化を比較したものである。VILは地上に雨粒が到達する前に値が上昇するため、地上の降雨強度に対して、VILが約5分先行していることが分かる。
実際には、VILを観測するためのXバンドMPレーダによる多仰角スキャンに約5分かかり、またデータを処理するためにさらに4分かかるため、VILを検出するだけでは予測が難しい。このため、VILそのものを予報して10分先の大雨情報を得る。VILの時間変化は以下の方程式で表すことができる。
ここでSは雨滴の生成率、Pは降水によって雨滴が失われる率を表す。Pにはレーダで観測される地上の降水強度を代入する。一方、Sの値は直接観測することができないので、前の時刻のVILの変化量と地上降水量から推定する。こうして方程式(1)を解き、先の時刻のVILを予報する。この際、風によるVILの移流も考慮する。
図2 「10分先の大雨情報」の概要
鉛直積算雨水量VILの値と地上の降雨強度の関係を統計的に調べ、降雨強度が一定値を超えると予測されたときEメールを配信する。図2にその概要を示す。Eメールのタイトルを「これから雨が激しくなります」とし、10分後および20分後の予測雨量が本文に記載する。なお、「mm 単位の予測雨量だけでは理解しにくい」というモニターの意見があったため、社会実験の途中から気象庁「雨の強さと降り方」を参考にして、「バケツをひっくり返したように降る」「滝のように降る」といった感覚的な表現を併記した。
社会実験
「10分先の大雨情報」の有効性を検証するためモニターを公募し、2015年6月1日から10月31日の期間、モニター個人に「10分先の大雨情報」を試験配信した。モニターの人数は当初は1000人であったが、希望者からの問い合わせが多く寄せられたため、7月以降は人数を2000人に増やした。予測の対象範囲は関東の一部(北緯35°〜 36.48915°、東経139°〜140.705°)とし、各モニターが希望する2地点に対する「10分先の大雨情報」を配信した。予測情報を配信するたびにモニターにアンケートを行い、「情報の利用目的」「予測情報が当たったかどうか」「情報が有用であったどうか」「良かった点と良くなかった点」を尋ねた。また社会実験の終了時(10月31日)にあらためて「『10分先の大雨情報』は役に立ったかどうか」「どのような目的で利用したか、利用できそうか」「今後どのような改善がなされたら正式なサービスを受けてもよいと考えるか」についてオンラインでアンケートを行った。アンケートには自由回答欄を設け、自由にコメントしてもらった。
モニターの反応
表1〜3に、社会実験終了時に行ったアンケートに対するモニターの回答を示す。「『10分先の大雨情報』は役に立ったか」という問いに対しては、89%が「役に立った」または「いくらか役に立った」と回答した。このことは、直前の豪雨予測情報に対するニーズが存在することを明確に示している。一方で、「あまり役に立たなかった」または「全く役に立たなかった」という回答が11%あった。自由回答欄に寄せられた意見によれば、「Eメールを受信したとき、すでに雨が降っている場合があった」「Eメールが来たが、実際には強い雨が降らなかった」「Eメールの通り雨が降ったが、量的には正しくなかった」という状況が生じていた。情報の遅れについては、現在のシステムでは観測開始からEメールを配信するまで約9分を要するため、状況によっては予測情報が現実の雨より遅れてしまうことがあった。また予測の空振りは、登録地点が雨雲の端の方であった場合に、雨粒が落ちた場所が登録地点からずれてしまったか、あるいはレーダのノイズを雨粒と誤認してEメールを配信したことによると思われる。これらは量的な誤差を生む要因にもなる。
「どのような目的で利用したか、利用できそうか」に対する回答は、大きく3種類に分けられる。1つめは、「家や身の回りへの注意」「防災管理への活用性」「家族への連絡」といった防災目的の利用である。「10分先の大雨情報」が一種のきっかけとなり、家族への注意喚起や状況の把握といった防災行動へ移っていく様子が伺える。2つめは、「通勤・通学」「洗濯物干し」「買い物」といった日常生活における利用である。これは防災上の利用というより、むしろ「生活の質の向上」への利用を示している。3つめは「予測精度の確認」などの技術的な利用である。今回の社会実験には、研究者や気象予報士等も参加したことを反映している。
「今後、どのような改善がなされたら正式なサービスを受けてもよいと考えるか」という問いに対する回答は、「メールがより早く届く」「30分先まで予測が延長される」といった予測精度に対する要望のほかに、「雨の降り終わりも通知される」という要望があった。豪雨の予測に対するニーズは、災害が発生に備えるという観点だけでなく、「現在起こっている現象がいつ収束するか」という観点も重要であり、それに対するニーズがあることにも注目する必要がある。
表1.「『10分先の大雨情報』は役に立ったか」に対する回答
役に立った | 51% |
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いくらか役に立った | 38% |
あまり役に立たなかった | 10% |
全く役に立たなかった | 1% |
表2.「どのような目的で利用したか、利用できそうか」に対する回答
通勤・通学 | 16.4% |
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家や身の回りへの注意 | 12.0% |
大雨の予測精度の確認 | 10.9% |
洗濯物干し | 8.9% |
買い物 | 6.8% |
防災管理への活用性 | 6.2% |
家族への連絡 | 5.4% |
屋外スポーツ | 5.4% |
情報伝達機能の確認 | 4.5% |
子供や家族の送迎 | 4.1% |
野外イベント | 3.1% |
営業・外勤 | 2.9% |
登山・ハイキング | 1.9% |
釣り・マリンスポーツ | 1.4% |
農作業 | 1.0% |
その他 | 9.1% |
表3.「今後、どのような改善がなされたら正式なサービスを受けてもよいと考えるか」 に対する回答
メールがより早く届く | 19% |
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30分先まで予測が延長される | 19% |
登録できる地点が増える | 16% |
雨量がより正確になる | 14% |
雨の降り終わりも通知される | 13% |
このままでも良いのでサービスを受けたい | 7% |
周辺の大雨情報も別途通知される | 7% |
サービスの範囲が関東以外にも広がる | 5% |
今後の改善点について
アンケートの自由記述欄には、モニターから数多くの望が寄せられた。モニターの意見に基づき、今後改善すべき点は以下のようにまとめる。
より早い情報提供
現状のシステムでは、XバンドMPレーダの多仰角スキャンおよびデータ処理に約9分を要しており、しばしばEメールの配信が豪雨の開始に間に合わない事例が生じた。このため、「役に立った」という意見が多く寄せられた反面、「Eメールが来た時にはすでに強い雨が降っていた」という意見も寄せられた。この問題を克服するためには、現状のXバンドMPレーダを高速スキャン型のレーダに置き換えるともに、データ処理速度を向上させることが必要である。現在、戦略的イノベーション創造プログラム「レジリエントな防災・減災機能の強化」の中で、高速な3次元スキャンと正確な降雨強度推定が可能となる「MPフェーズドアレイレーダ」の開発が進められている3)。MPフェーズドアレイレーダの活用により、多仰角スキャンに伴う情報の遅れの問題が大幅に改善されることが期待できる。同時に、MPフェーズドアレイレーダで得られる大量のデータを、いかに高速処理するかも課題となる
他の気象・防災情報との組み合わせ
今回の社会実験では、「10分先の大雨情報」のみをモニターに配信した。一方モニターからは「雨が降り続く時間も知りたい」「河川や冠水などの情報も合わせて知りたい」といった要望が寄せられた。「10分先の大雨情報」はあくまで雨の降り始めの情報であり、情報の受け手はその後に起こる事象を知る必要が生じる。豪雨が比較的長時間続く現象であることを考慮すれば、「10分先の大雨情報」を提供した後、適切な予測情報や防災情報へと利用者を誘導していくしくみが必要であると考えられる。
予測精度の周知
モニターからは「30分前からの予測情報が欲しい」という意見や、「民間気象会社等から提供されている情報との違いが分からない」といった意見が寄せられた。今回行った「10分先の大雨情報」と既存の予測情報との違いは、その確度にある。「10分先の大雨情報」は上空に大量の雨粒が蓄積されつつある時点で情報を配信するので、多少の位置ずれを除けば、予測された地点にほぼ確実に強い雨が降るはずである。一方、30分前からの予測も可能であるが、一般に予測時刻が先になればなるほどその確度は低下する。
ただし情報利用者によっては、「たとえ確度が低くてもできるだけ早く情報が欲しい」という人もいると思われる。その場合、その予測の精度が高くないことを認識した上で、情報を利用してもらうことが必要である。一案としては、予測情報とともにその精度の情報も提供することが考えられるが、その場合、利用者側に混乱が生じる可能性がある。したがって予測精度の意味について事前十分な周知が必要になると思われる。
情報提供の方法
今回の社会実験では、ユーザーが事前登録した場所(2箇所)に関する10分雨量と降雨強度をEメールで伝達するとともに、レーダ画像が見られるウェブサイトへのリンクをメール本文に示した。これに対しては「EメールだけでなくLINEや専用アプリを利用してはどうか」「固定した場所への情報提供でなく、GPSと連動して利用者の所在地へ情報を配信してほしい」「地点登録の方法を改善して欲しい」「旧来の携帯電話端末(ガラケー)にも対応させてほしい」「降雨強度のみならず累積雨量の情報も必要」「テキストの情報だけでなく、グラフ表示も必要」「登録地点だけでなく、周辺の情報も必要」といった数多くの技術的な要望が寄せられた。今回は限られた予算内で社会実験を実施したため、モニターの要望すべてに対応することは困難であった。次回の社会実験では、可能な限り利用者の利便性を図っていきたい。
さいごに
以上、2015年度に実施した「10分先の大雨情報」社会実験の概要を述べた。本社会実験により、豪雨の直前予測に対する社会のニーズがあることが明確になった。今回モニターから指摘された様々な要望を考慮しつつ、実用化を目指していきたい。
謝辞
「10分先の大雨情報」社会実験に参加していただいたモニターの皆様に感謝いたします。また技術開発および社会実験は、社会システム改革と研究開発の一体的推進「気候変動に伴う極端気象に強い都市創り」および戦略的イノベーション創造プログラム「レジリエントな防災・減災機能の強化」の枠組みの中で、三隅 良平と真木雅之氏(鹿児島大学)、大西晴夫氏(日本気象予報士会)、山路昭彦氏・中垣壽氏(日本気象協会)、平野洪賓氏・前坂剛氏・中谷剛氏・岩波越氏(防災科学技術研究所)らの協力のもと行われたものである。なおXRAINのデータは国土交通省より提供され、国家基幹技術「海洋地球観測探査システム」:データ統合・解析システム(DIAS)の枠組みの下で収集・提供された。
参考文献
- Boudevillain, B., H. Andrieu, and N. Chaumerliac, Evaluation of RadVil, a Radar-Based Very Short-Term Rainfall Forecasting Model, Journal of Hydrometeorology, Vol.7, pp.178-189, 2006.2.
- Hirano, K. and M. Maki, Method of VIL Calculation for X-band Polarimetric Radar and Potential of VIL for Nowcasting of Localized Severe Rainfall –Case Study of the Zoshigaya Downpour, 5 August 2008–, SOLA, Vol.6, pp.89-92, 2010.7.
- 内閣府:SIP(戦略的イノベーション創造プログラム) レジリエントな防災・減災機能の強化 (リアルタイムな災害情報の共有と利活用) 研究開発計画、http://www8.cao.go.jp/cstp/gaiyo/sip/keikaku/8_bousai.pdf、2015.5.
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三隅 良平